滋賀県の広大な自然とたねやグループの伝統が融合した『ラ コリーナ近江八幡』は、ただのお菓子屋ではありません。ここでしか味わえない景色とともに、美味しいお菓子もいただけます。
この記事では、たねやグループの歴史、ラ コリーナができた経緯などを簡単にまとめました。
出かける前に少しでもその施設のことを知っておくと、新しい発見があるかもしれません。
たねやとクラブハリエの関係って?
ラコリーナにある和菓子屋のたねやも洋菓子屋のクラブハリエも、どちらも「たねやグループ」です。
たねやグループの社長は「たねや」創業家 10代目当主。
菓子屋としては4代目の山本昌仁社長。
そしてクラブハリエの社長は弟の山本隆夫社長です。
ご兄弟で経営されている会社なんですね。
詳しい歴史に関しては、
山本昌仁社長の著書『近江商人の哲学「たねや」に学ぶ商いの基本』でご自身の体験や思いを通して書かれいて、とてもわかりやすかったです。
曽祖父、祖父、父から代々渡されてきた「たねや」のバトンを兄弟で繋いでいく様子は
本当に学ぶことが多く、心に残る言葉も多かったです。
ラ コリーナに行く前に、ぜひ読んでほしい一冊です!
近江商人の哲学 「たねや」に学ぶ商いの基本 (講談社現代新書) [ 山本 昌仁 ] 価格:1012円 |
材木商から菓子屋へ
さかのぼって見ていくと、最初はお菓子屋ではなかったようです。
300から400年前の江戸時代
初代当主は材木商(記録がほとんど残っていないそうで、詳しいことは不明とのこと)。
江戸初期は全国的な建築ブームだったことも追い風になり、商売はかなり上手くいっていたそう。
その後 穀物や根菜類の種子を売る仕事に転じますが、そこでも商売は順調だったそうです。
菓子屋を始めたのは1872年 明治5年。
7代目 山本 久吉氏が近江八幡に「種家末廣」を開店したのが始まりだったそうです。
のちに「種屋」に改名しています。
ここから、菓子屋としての歴史が始まります。
「菓子屋で種屋って。結局、お前は何屋なんだい?」
こう笑われることもあったようです。
お菓子屋の前は種子を売っていた商売だったことで周りから「種家」と呼ばれていたそうですが、
全国に何店舗もある有名なお菓子屋「たねや」になると思うと考え深いですよね。
8代目当主 菓子屋2代目 現社長の祖父にあたる 山本脩次氏は1951年に洋菓子も製造するようになります。
最初は和菓子の横に一緒に置いて売っていましたが、1979年には洋菓子部門 「ボン・ハリエ」が作られました。
フランス語でボンは「良い」ハリエは「ステンドグラス」の意味。
1966年 九代目当主 菓子屋3代目 現社長の父にあたる山本徳次氏が社長に就任。
ここから店舗数を増やしていきます。
近江八幡から日本各地へ
店舗を増やすと言うことは、支店を出すということ。
代々受け継がれてきた家訓に「支店は出すべからず。」とあるのに、家訓に背いてまで支店を出しました。
3代目社長 山本徳次氏はこう言っていたそうです。
「これは支店と違う。全部が憧れの本店や。」
その言葉通り、たねやには今でも支店と呼ばれるお店はないそうです。
新しい店舗ができると家族全員でその土地に移り住み、オープン前からスタッフ総出でご近所を挨拶回り。
新しい店舗の立ち上げを全力でしたことで、すべての店舗を本店にするという流れを3代目社長は作り出しました。
和菓子のたねやが店舗数をどんどん伸ばしている間、
洋菓子部門は「バームクーヘンとリーフパイがあったらそれでいい。」という考えのもと、あまり力を入れていなかったそうです。
バブル時代に海外の菓子屋がたくさん入ってきたこともあって、洋菓子にも本腰を入れ始めます。
その当時、ボン・ハリエを任されていたのが現社長の山本昌仁氏でした。
1995年 「ボン・ハリエ」から「クラブハリエ」へ名称を変えます。
クラブは社交場のように人が集まるように。
ハリエはステンドグラスのように、いろんな色が集まって、一つになると意味をこめて。
1999年 梅田阪神に出したバームクーヘン専門店「クラブハリエBスタジオ」が起爆剤となって、クラブハリエは全国的に一躍有名になります。
2011年 山本昌仁氏がたねやグループ社長に、弟の隆夫氏がクラブハリエ社長に就任。
ここまで、かなり簡単にした歴史を見ても、時代に合わせて試行錯誤してきた様子が分かりますよね。
著書の中では、もっと詳しく色々なことが書かれています。
特に弟さんの変化の話が面白かったので、ぜひ読んでみてください!
産経新聞にクラブハリエ 山本隆夫社長のインタビューがありました。
↓この記事もすごく面白かったので、ぜひ!
ラ コリーナ 誕生
ラ コリーナが建っている土地は以前、厚生年金休暇センター ウェルサンピアと言う施設がありました。
土地の広さは3万5千坪。甲子園球場3つ分の広大な土地です。
全ての人工物を取り除いて、近くの山のドングリを拾い、苗に育ててから植えるところから始めたそうです。
ラコリーナの構想を練っている時期に
イタリアを代表する建築家 ミケーレ・デ・ルッキ氏を近江八幡に招いた際
まだ何も建っていない土地を見て、ルッキ氏が一言。
「ラ コリーナ」
イタリア語で丘という意味だそうです。
これが施設名になりました。
そして、いよいよ建築家の藤田照信氏に出会います。
科学技術に自然を着せる
藤田照信氏は建築史家でもあり、建築士でもあります。
長年、建築史の近現代を専門とした研究者でしたが、
45歳のときから建築家としても活躍されています。
日本を代表する有名な建築家の1人です。
自然の素材を大切にし、自ら材料の木を山に見にいったりされるそうです。
手がけた建築は植物で仕上げる手法が多く、
その集大成ともいえるのがラ コリーナです。
藤田先生の著書の中でも語られていますが、
植物で仕上げる建築はメンテナンスが大変だそうです。
しかし、ラ コリーナには農業関連の部署が3つもあります。
田んぼや畑で農作物を作る「北之庄菜園」
植栽を担当する「ラ コリーナ近江八幡造園」
全国の店舗に飾る山野草を育てる「愛四季苑」(はしきえん)
自然を育てる体制があるラ コリーナだからこそ
あの風景が作り出せるんだと、改めてたねやの本気が感じられますよね。
ちなみに、藤田先生の建築は独特でとても可愛らしい雰囲気があるのですが、
ご自身の著書の中で
自分の建築を「カワイイ」と言われるのは、不本意だとおっしゃっていました笑。
優れた建築は、本人も気づかなかった意味がいっぱい入ってる。
だから、時代を超えられる。本人が自覚した点は本人が文章に書いているけれど、それはその時代の中で考えたことで、時代が変われば消えていく。だけど時代を越えるものがある。それは本人も自覚していない事なんですよ。
引用元:藤森照信著「藤森照信 建築が人にはたらきかけること」より。
「ラ コリーナ近江八幡」は確実に時代を越える建築になると思います。
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新しい風の流れに乗っていく
この時代に生まれて、この素晴らしい風景を見ることができることって
本当に貴重な体験だと思います。
時代の風に乗って、どんどん進化している「たねやグループ」。
良い伝統を残しつ、新しいものをつくっていく姿に、色々な人が共感するのでしょう。
ラ コリーナのテーマは「自然に学ぶ」です。
現地を訪れて、思い出した言葉があります。
“土に根をおろし、風とともに生きよう。 種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”。 どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ。
引用:天空の城 ラピュタ
天空の城 ラピュタのシータの言葉です。
季節を感じ、自然に学び、生きていく。
次世代に何を伝えるか、何を残すかまで考えているお菓子屋のフラッグシップ店。
ぜひ、ラ コリーナ近江八幡で自然からの学びを受け取って下さい。
景色はもちろん、お菓子もラコリーナ限定の商品が多くあります!
わたしのおすすめは「たねやのカステラ」です!季節限定のソースもあるので必食です。
ラ コリーナ近江八幡に興味を持った人は、公式サイトでさらに詳しい情報をチェックしてみてください。