昔のお札に描かれている肖像画の人のことを
一目見て、名前を言えますか?
なにを成し遂げた人か説明できますか?
わたしは35歳。でも、胸を張ってこう言えます。「わかりません!」
そして、見つけてしまいました。
顔を見ても、名前を聞いても
「どなた?」って言う人が・・・・
和気清麻呂ってどんな人?

この10円札のお方
どなたか分かりますか?
わたしは全く知りませんでした。
調べたらこの方のお名前は「和気清麻呂」(わけのきよまろ)さんだそうです。
初めて聞いたお名前。。。
戦前は、結構知られていた人だったみたいですが
現在は、聞かないですよね。知らない人も多いのではないでしょうか。
和気清麻呂のことをざっくりまとめると↓

はい。わかります。
こんな文章見ても、あんまりイメージ湧かないですよね。
でも和気清麻呂がいなかったら、
今の天皇の家系が違っていたかもしれないそうです。
そのエピソードが宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)です。
文章で書いても、想像がつかないと思うので
ざっくりまとめました。↓
和気清麻呂のエピソード
769年 奈良時代
称徳天皇から信頼されていた道鏡(僧侶)は絶大な権力を持っていました。
自らが天皇に就くために神から自分を天皇にするようにお告げがあったと言います。

称徳天皇は最初、和気清麻呂の姉(広虫)に確かめるよう命じますが
その弟である和気清麻呂が宇佐八幡宮に行くことになりました。
和気清麻呂は宇佐八幡宮で、道鏡を排除せよという御信託を持ち帰りました。
そのことに怒った称徳天皇と道鏡は和気清麻呂を鹿児島へ流罪にします。

しかし、その後
称徳天皇が崩御され、光仁天皇になってから
道鏡の力は弱まり、左遷されました。
その代わりに和気清麻呂の流罪は解かれ、再び政治に復帰し活躍したそうです。
この和気清麻呂が正直に御信託を告げず、
もし道鏡が天皇になっていたら、
今の天皇の家系は、まったく違うものになっていたかもしれません。
和気清麻呂の姉 広虫(ひろむし)
そして、和気清麻呂の姉も有名な人です。

才女であり、女官として平城京に仕えていました。
女官を務めたのちに出家しますが
乱による飢饉などで出た孤児80人ほどを養い、
自分の夫の姓を与えたというエピソードがあります。
日本で初めての孤児院また里親制度の先駆けとも言われているそうです。
和気清麻呂といったらイノシシ

そして和気清麻呂といったら忘れてはいけないのがイノシシです。
清麻呂が流罪のため鹿児島に向かう道中
道鏡より刺客を送られたり
足が悪くなったりと災難続きでしたが
イノシシ300頭が現れ
清麻呂が行く先の道を作ってくれたと言う話があります。
足を悪くしたため、御輿に乗っていた清麻呂の足は
鹿児島に着く頃には治っていたそう。
そのため、和気清麻呂が祀られている神社には狛犬(こまいぬ)ではなく
狛猪(こまいのしし)が置いてあるそうです。
和気清麻呂に関する神社↓
上記の神社は岡山県と京都府にありますが
和気清麻呂の銅像は皇居近くにもあるそうです。
近くに行った時には、ぜひ訪れてみたい場所ですよね。
娘がイノシシ年生まれなので、どちらかの神社に連れて行きたいなぁ。
知らなかったことを知る機会はどこにでもある
まさか、もらった10円札をきっかけに
こんな学びのきっかけになるなんて…!(笑)
日常のことを少しずつ知ることが、新しい発見につながりますよね。
わたしの子どもたちは興味ないかもなぁ〜。
でもわたしが知っていることが増えたおかげで
何かのタイミングで、子どもと話できれば良いなと思います。
漫画でざっくり和気清麻呂について知りたい方は、こちらのサイトもおすすめです。↓

無知だったわたしが、今日少しだけ知ったこと。
これからも、そんな小さな気づきを子どもと共有していきたいと思います。